読書の秋…

 読書の秋とはよく言ったもので、最近忙しすぎて本を読む暇もなかった私ですが、最近また本やマンガを読むようになりました。
有川作品に最近はハマっていて(また?)本買っちゃいましたww

『クジラの彼』は以前紹介した『海の底』、自衛隊3部作の『空の中』『塩の街』の続編というか番外編に当たるようです。

クジラの彼 (角川文庫)

クジラの彼 (角川文庫)

もう一冊は『レインツリーの国』。これは聴覚障害者の女性と健聴者の男性のお話ですが、深く考えさせられる作品でした。
メールでの知的な対応や、テンポの良い関西弁でのツッコミなどもともとそれほど長いお話ではなかったので、なおのことすらすら読めてしまいました。
この話の主人公の女性は「健聴者の人には聴覚障害者のことなどわからない」という考えを持ち、健聴者の男性は「聴覚に障害があるのならば最初に言って欲しい」といった考えの食い違いがあります。きっと多くの聴覚障害者の方はそう思っているのでしょう。私は障害者のかたの生活、苦労といったことは、一切わからないためうかつには語れませんが、このお話には大きな衝撃を受けました。この話が出来るということは少なからずお話の中にあるような状況下におかれ続けている人がいるということだと思ったのです。私が今まで読んだことがなかっただけかもしれませんが、ここまで詳しく聴覚障害について書いてある小説に初めて出会いました。
 
 私の通学に利用する電車に、聴覚障害者ではなく視覚障害者の方がいらっしゃいます。いつも同じ時間の電車なのですが、彼は一度私が乗車する駅で乗降のために電車を降りるのですが、電車の側面に手をつき乗車する人の一番最後にのってきます。乗るタイミングは誰かが横についているわけではなく、全く一人で駅の雑踏の中から聴こえるアナウンスとベルで乗るのです。一度だけ全く関係のない男性が手をうろうろさせて電車に乗ろうとしている男性の腕を引っ張って車内に案内していましたが、それ以外に彼に手をのばす人を見たことはありませんし、私も手を貸そうか迷った挙句スペースを空けるにとどまったひとりでした。朝のラッシュの中ですから、相当の負担が彼にかかっているだろうと推測のみなら簡単にできます。私のようになんの障害もない人間にとって、視覚や聴覚、それ以外の多くの障害者の方にどのような配慮が必要なのか、どこまでなら手助けをしていいのかという限度は全くと言っていいほどわかりません。想像だけで考えてると一度だけ手を貸したあの男性も純粋な好意だったはずですが、聴覚に大きく頼らざるをおえない生活を送る方が、いきなり無言で腕を掴まれホームから車内に引っ張り込まれたら、最初は誰が自分に何をしようとしているのか不安に思うこともあるのではと私は思ってしまうのです。もちろん私の推測の域をでませんし、もしこの記事をご覧になる方がいてもお気を悪くなさらず、単なる小娘の考えと考えていただけると有難いです。
今回『レインツリーの国』を読み、ほんの少しとは言え(きっと100文の1にも満たないかもしれませんが)聴覚障害者の方の心の内を垣間見ることで、あらためて障害者の方について考える機会になりました。
しかし、このお話はただ障害者の方のツライ経験のみで終わりはしませんでした。というのも、健聴者の男性にもツライ経験をした過去があったのです。考えて見れば、私の家でもすこし普通の家庭とは違ういざこざがあり、ツライ思いや汚い大人の感情と思惑を見ましたが、健聴者の男性が言っていたように人にはそれぞれ「その事実は絶対に変わらへんし、誰にも解釈できひん。」(p154より)ことがあるのですね。普段何も辛いことがないかのように幸せそうに笑う友人たちにも、そういったことを体験しているかもしれないということを、わかってはいましたが改めて突き付けられた小説でした。

 ながながと読んでくださった方あなたに感謝です!!

レインツリーの国

レインツリーの国