私の弟。。

 最近寒くなってきたこともあり、モフモフな彼をだけない事にストレスを感じるようになり、家族の中でも彼のいない生活が初めてなので、新しく彼の弟・妹を迎えようかと言う話になっている。
決して悲しくなくなった訳ではない。彼が完璧すぎたので…。
ただ、私の場合はゆっくり彼について考える時間もなく、時が過ぎてしまったので、今ゆっくり彼に向き合ってみた。

 2011年10月23日(日)私たちと一緒に育ってきた弟が、家族のだれより落ち着いて、全ての用意をしたうえで旅立っていった。私は茶々丸の調子が良くない事はわかっていたけれど、まさか一日二日でいってしまうほどとは思っておらず、正直信じられなかった。
本当だったら家族が気付かないうちに一人で旅立っていたかもしれない彼は、本当に気を使ってばかりな奴だった。
調子が悪くなったのは金曜、危篤は土曜、旅立った日曜ですら家族が全員揃うまで待っていてくれたのである。
金曜日。茶々を病院に連れて行った父から、もし今日連れて行ってなかったら、朝旅立った後を見つけることになったかもしれない。と言われた。衝撃過ぎて、私は父に自分でもよくわからないままに八つ当たりをした。
土曜日。私は家族に早く帰宅しろ。と言われながらも、なかなか帰る気になれなかった。19年共に過ごした弟の旅立ちが、私には受け入れることができなかったのだと今は思う。そんな私のことも、彼はちゃんとまってくれた。私にも世話をさせてくれた。
日曜日。大好きな日向ぼっこもその日はでき、私と父と茶々丸で昼間はずいぶんのんびり時間を過ごしていた。
母と妹が帰宅し、彼の介護をしていた時おむつが裏返しだったことに気がついた。昼間に私と父でかえたときに逆につけたようで、しっぽが前に来てしまっていたのだ。茶々丸は本当にプライドの高い奴だったから、それが気に食わなかったのかもしれない。

 老衰だから痛みはあまりなかったようだけど、体に力が入らなくなっていく彼の様子は今でもすぐに頭に思い浮かんでくる。きっと一生わすれないんだろう。つい10日前まで普通に歩いていたから、前からこうなることは分かっていたのにやっぱり涙は止まらなかった。

 彼が旅立ってから。きっと日々の生活にも支障が出て、バイトも学校も全部休むのかと思ってた。けど、実質休んだのは一日で、その日のバイトも普通に出勤した。薄情なのかなと自分でも思ったけど、最近になって思うのは「茶々丸がちゃんと用意していってくれたんだ」ってこと。普段からお昼寝場所はかくれんぼみたいな場所で、出て来ないのも夕飯になったら出てくるでしょ。ってイメージで、いなくなってしまった感覚はすぐにはわかないのだ。でも、夜になると閉めたドアの向こうの廊下を、爪の音がするような気がしてしまう。“チャッチャッ”って音がすると、「あ。茶々だ。」と無意識に思ってしまう。
でも、茶々丸のことを笑って話しに出せるのは私たちの心の負担を減らして行ったナイスガイな彼のおかげだろうなぁ。

私たちは彼をちゃんとお骨にしようと結論を出した。あまりに小さくなってしまった彼だったけど、そのすべてが私たちに触れていた時の感触があるからまだ手放せないでいる。誰も何も言わないけど、彼はあのまま家族が揃う食堂にずっといることになるんだろう。
なんだかんだ寂しがり屋な彼にはお似合いの場所だ。家族が一番にあけるドアの真正面。
彼が旅立ってもう2カ月たつのに、未だに薄れない気配。いたるところで彼の毛が見つかる。
旅行に行ったら玄関で待ってたとか、なんか変なものが好物だったり、私たちの言ってることを理解しているふうだったり、ホントに不思議な奴だった。


ねぇ茶々。きみの事を思い出すと尽きないんだけど、私の20年の人生はキミがいない時の記憶がないよ。こんなに長い間一緒にいたんだね。茶々はこの家の誰よりも利口で、大人で…。たくさん話し相手になってくれてそばにいてくれてありがとう。言葉を理解しているみたいな君は、何かと表情がでて面白かった。いつだってツンってしてるのに、人のこと気にして、そんなに私たちの事を気にしてくれなくてもよかったのに、出来すぎた紳士だったよ。たくさんニャンコはこの世の中にいるけれど、茶々みたいな子にはきっと一生会うことはできないだろうね。私はいろんな知り合いに君の自慢をして歩いていました。今だってその気持ちは変わらないの。君はいつまでも私の自慢の可愛い弟。苦労ばかりかけてホントにごめん。ありがとね、茶々丸